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春を、待ってた。
-桜の木の下-
「キラ…?どうかしたんですの?」
振り向いた彼女の今日の装いは、桜色のワンピース。
「………あっ、ゴメン」
ハッと我に返ると、いつの間にか足を止めていたラクスが、くりくりした空色の瞳で自分の顔を覗き込んでいた。
「ごめん…、何でもないよ」
不思議そうに上目遣いで見つめるラクス。
…そんな仕草とか、さぁっと吹く春風にふわふわと揺れるその裾とか、さらさら流れるピンクの髪とか。
そんな君の後ろ姿に見入ってたなんて、
言えない。
なのに。
「ごめんなさい、無理を言って連れて来てしまって…」
そう言って申し訳なさそうに微笑まれると、困る。
「ううん、それは全然いいんだけど…ゴメン、ぼーっとしてて」
見せたいものがあるんですの。
カリダとマルキオ、そして子供たちと一緒に昼食をとった後、片付けのために二人でキッチンに立っていた時のことだった。
二人並んで黙々と皿を洗っていたらラクスが突然、しかし喜々としてそう言ったのである。
見せたいものがあるんですの。
とっても綺麗で、とっても素敵なもの…
前大戦の後オノゴロに来たキラは、特に何をするでもなく…それこそ平和に過ごしていた。
だが、綺麗な海を見つめても子供達の暖かい手に触れても、何かキラの中で癒えないものがあった。
…そんな中で、ラクスはまるでキラを支えるかのようにいつも隣で静かに寄り添っていた。
ただ静かに、彼の隣で彼の見ている海を見ていた。
そう、静かに。
彼女は何も言わなかった。その彼女が今日突然そう言ったのだから、キラは多少驚いた。だが、断る理由は勿論ない。
それに。
少し…嬉しかった。
「でも、本当にもう少しで着くんですの。だから」
「ううん、本当に考え事してた、だけだから…ごめんね」
ラクスは、綺麗で強かった。
ただ、あの時見せた涙を除いては。
「…そうですか。では、行きましょう?」
キラの前でだけ見せたあの涙。
「…うん」
彼女が人前で父の死を哀しんだのはあの時だけ。
その時以外に、彼女は私情を外に吐き出すことをしなかった。
胸に思いを秘めたままでいることがどれ程辛いかキラは知っている。
でもそれでも、彼女は断ち切ったのだ。
あの呪いの連鎖を。
「今日はとても良いお天気ですわね」
広がる空を見上げ、ラクスは朗らかに言った。
「…そうだね」
…ラクスは強い。
本当は今、自分は守ってやらなければならないのだ。
父を亡くしたラクスを。たった一人の肉親を亡くしたラクスを。
なのに自分は、ラクスに支えられている。彼女自身も辛いはずなのに。
ラクスがまた、キラの前を案内するように歩き出す。
…なのに、なんでだろう。
今感じた孤独感は。
ラクスを綺麗だと感じて、その時にふっ、と自身の身体のなかに沸いたこの孤独感は。
「……っ」
もう忘れよう、とキラはラクスの行く複雑でもない平坦な道を、必死に付いていった。
「……わぁ」
声を上げるや否や、空からピンクの花びらがはらはらと落ちてくる。
歩くこと数分、流石のキラもその光景に感嘆の声をあげた。
そこには満開の大きな桜並木。
埋もれそうなくらいに花びらが降りしきり、視界をピンク色に染めている。
ラクスはキラを振り替えり、満足そうに微笑んだ。
「素敵でしょう?カガリさんが教えて下さったんですの」
オノゴロで一番桜が綺麗な場所。
「…え、そうなの?」
「ええ…人工の桜はプラントにもありましたけど、本物の桜が見てみたくて…そう言ったら、なら良い場所があるからって…」
ラクスは、とても嬉しそうにその景観を楽しむ。
純真の笑みに、花びらが落ちる。
「ここに来るまでにも何本かありましたけど、ここの桜が一番素敵でしょう?だから、キラにも見せたくて…」
「…僕に?」
「ええ、キラに」
「…………」
ラクスは、いつの間にここを訪れたのだろう。
そうだ。
ラクスだって、いつでも隣にいる訳ではない。
自分の元を離れて一人で、もしくは別の誰かと一緒にいる時間もあるはずだ。
いつも傍にいるなんて勘違いだ。
それだけなのに。
わかっているはずなのに。
この孤独感。
どうして。
「一番向こうに、もっと大きな桜が立っているんですの。本当に見せたいのは、それですわ」
キラの葛藤に気付く様子もなく、ラクスはふわりと微笑み、また歩きだした。
「空が見えないんじゃないかってくらい…大きくて…」
立ち尽くすキラと、歩いていくラクスの間にさぁっ、と風が舞った。
一斉に花が散り、風になびいて舞い上がる。
その間を縫って彼に見えるのは、後ろ姿のラクス。
彼女の今日の装いは、桜色のワンピース。
肩に揺れるのは、ピンク色のふわふわの髪。
「…………」
ラクスの後ろ姿が、ピンク色の桜に掻き消されて見えなくなりそうになる。
花びらの中に溶け込んで、見失いそうになる。
少しずつ遠くなっていくラクス。
いつも隣にいるのに。
今は前にいる。遠くなる。
「…っ!」
いつの間にか。
キラは走りだした。
その足音に気付いたラクスの肩を引き寄せる。
「…………!」
後ろからいきなり抱きすくめられ、ラクスは立ち止まった。
「…………………っ」
さわさわと鳴った風のあと、二人は静寂に包まれる。
「…………キ…ラ…?」
最初にその静寂を破ったのは、ラクスだった。
声をかけたのは、抱きしめられたキラの腕が、小刻みに震えていたから。
「……そ…………に…」
「……え?」
そんなに。
「……遠くに行かないでよ………………」
それ以上遠くに行かれてしまうと、見失いそうだった。
桜の花の向こうで、いなくなってしまいそうだった。それが、恐かった。
ラクスに、支えられていないことに?
…いや、違う。
「…………………」
ラクスは抱きしめられたまま目を伏せ、キラの腕にそっと手をのせた。
そして、ぽつりと言った。
「…春を、待っていたんですの」
「…え?」
キラは目を見開いた。
春を?
ラクスは、キラに見えないその表情を苦くし、俯く。
「…私は、キラを戦わせてしまった……」
ラクスはキラの腕をぎゅっと握る。
「…深い、深い傷を追わせてしまった……」
「…ラクス」
そんなこと、と言おうとしたキラだが、腕の中で振り向いたラクスに言葉を取られた。
「だって…あの時、あなたに剣を取らせたのは私ですわ」
「ラクス」「だって」
ラクスの語調が、微かに荒くなる。
「…キラは今、淋しいでしょう?」
「!」
ラクスは、気づいていたのだ。
「その原因は、私にもありますわ…!」
キラはたじろいだ。
ラクスが、そんなことを思っていたなんて。
「………………………」
ラクスは真剣な目でキラを見つめていたが、やがて、ゆるりと視線を横に流した。
「…だから……」
春を待ってた。
「こんなもので償えるとは、思っていませんが…」
ラクスは、キラの手をそっと包みこむ。
「…春を、待っていたんですの」
春になったら、あなたに伝えたかった。
「…あなたに、元気になってほしくて………」
桜を、見せたかった。
「…………ラクス」
互いの視線が絡み、また沈黙が訪れた。
どうして、ラクスを手放したくないのか。
遠くに行ってほしくないのか。
ラクスに支えられたいからじゃない。
ただ、自分がラクスを守れないことに、焦った。ラクスは強く、そして弱い。
その儚さに、誰もが、キラでさえなかなか気づけない。
ラクスが弱いのは、きっと優しいからだ。
優しさは、時に脆くなりすぎてしまう。
だから、守りたい。
優しいラクスの傍にいて、今度は、自分が守ってあげたい。
遠くに行ってほしくない。
今度は、自分が守る番なのだから。
「……ありがとう」
キラはふわり、とラクスの肩を抱き寄せた。
「…僕は、もう、大丈夫だから……」
君を守れれば、今の世界に不安は何もない。
そう。
今は、平和なのだ。
「だから、そんなこと、思わないで」
伝えよう、今。
君が打ち明けてくれたように。
「君さえ守れれば、僕は大丈夫だから」
「…………キラ」
微かに、ラクスが微笑んだ。
その笑みに、桜の花びらが踊るように散っていった。
―――――春を、待ってた。
絢爛の、春を。