「静かな…この夜に…あなたを…待ってるの……」
懐かしい唄を耳にし、部屋に戻ろうとしていたキラは足を止めた。
ここはマルキオ邸、二階のテラス。声のした階下を見遣ると、ベランダの手摺りに頬杖をついたラクスが、呟くように歌っているのが見える。
こんな遅くにどうしたんだろうと更に覗き込めばラクスの横に、洗濯物のバスケットが置いてあるのが見え、納得した。物干し竿には子供たちの洋服が、ひらひらとラクスの髪と同じ方角に揺れている。
上から彼女の名を呼ぼうとしたキラだったが、唄の邪魔をしちゃいけないかなと思い、自分も二階の手摺りにもたれて、上からその光景を眺めた。
部屋の中の光に照らされて、ぼんやりと明るいベランダ。そこで歌っているラクスは、まるでステージに立っているようで。白い肌と明るいピンク色をした髪が、艶やかに浮かび上がっている。
…綺麗だ、なんて。
ぴぅ、と少し強めの風が吹いた。
「………」
キラはブル、と肩を震わせ、テラスを後にした。
5月ももう半ば。日中はとっくに夏の陽気といえど、海岸沿いのこの家は夜になるとそれなりに冷える。
…風邪をひいたら大変だ。
部屋に戻ろうかとも思ったが、キラは結局階下に下りた。途中でリビングに寄って、ソファに掛かったままになっていたラクスのショールを手に取る。奥のキッチンの方から、カチャカチャと皿が音を立てていた。カリダが片付けているのだろう。
そろ、とベランダを開けると、ラクスはまだそのステージで歌っていた。
「その冷たさを…抱きしめる…から…」
この曲は、なんと言っただろう。
確か、ラクスに出会った頃に聞いた歌だ。
AAの中で彼女が歌っていたこの歌。あの時は、この状況下でよく歌っていられるなと半ば呆れながらも、彼女の優しい歌に少なからず癒されていた。
そして、その歌に呼応するかのようにキラに優しくかけられた言葉に、心を温かくさせられた。
そういえばあのあとラクスからは、この歌をあまり耳にしていない。
再会した後に歌っていた歌も、最近よく歌ってくれる歌も何度も聴いたから、口ずさめる程には覚えたのだが(というか歌というものにこれまで全く関心を持ったことがなかったので、覚えるにはかなり苦労が必要だったが)、この歌は何故か全くラクスが歌わないのでうろ覚えなままとなっている。
「星の…降る場所で…」
ラクスにぴったりの優しい唄だと思う。
そんな事を思っていると、
「まぁ…キラ?」
「ぇ」
いきなり声をかけられ、キラは我に返った。いつの間にか歌は終了しており、ラクスのアクアマリンの瞳がこちらをみている。
「どうしたのですか?」
首を傾げて尋ねる彼女に、キラは慌てて答えた。
「…あ、いや…寒そうだなって、思って」
両手に広げたショールを差し出すと、ラクスは「あら」と申し訳なさそうな、でもちょっと嬉しそうな声をあげてそれを受け取った。
「ありがとう」
ワンピースの上から肩を包むようにしてラクスはそれを羽織り、温かな笑顔を向けた。
吊られてキラも自然と笑みを零して、「もう夜は冷えるからね」と答える。
肌に感じる風は冷たかったが、二人の間には温かい空気が流れた気がした。
暫く二人で見つめ合って、その温かな時間を延長させる。やがて少し経つと、ラクスがくるりと向きを変え、ぴとりとキラに寄り添った。
ショール越しに伝わる温かさを感じながら、キラは何も言わずに優しくラクスの体を支える。
「星が…綺麗ですわね」
「…うん」
空を見上げてぽつりと言ったラクスに、キラは相槌を打った。
星の、降る場所で。
貴方が笑っていることを…
「…さっきの曲」
「え?」
ラクスの言った言葉に、さっきの歌の旋律を思い出し、キラは言った。ラクスがこっちを向いて聞き返す。くるん、と振り返ったはずみで、長い髪の毛が肩に零れ落ちた。
「さっきの曲…なんて名前なの?」
「―――…聴いて、たんですの?」
「うん、昔、ラクスがAAで歌ってた曲だよね?」
「………………………」
「……………?」
ふと黙りこくったラクスの顔を覗き込むと、そこには微かに憂いの色があった。
「…………………どうしたの?」
「……この、歌は………」
口ごもりながら言葉を探すような仕種を見せたラクスに、キラはくすりと笑った。
「……いい、歌だよね」
「……え………?」
「ラクスらしくて、暖かくて」
キラは知っている。
この歌が、誰のために歌われていたのか、なんてこと。
「待ってたんだよね…」
静かな、夜に。
「………………………」
アスランは、おっちょこちょいで鈍感なキラの大事な友達で。
ラクスがどんな気持ちで待っていたのかなんて、安易に想像できてしまう。
でももうその彼も、本当の大切な人を見つけてしまった。
「キラ、あの…」
「…………僕は、ここにいるから」
「!」
朝起きたら君がいて、皆でゆっくりとした時を過ごして、一緒に笑って。
「…キラ……」
君に触れ、この星空の下にいれるだけで。
「…充分に、幸せだよ」
君の歌は大好きだけど、君自身が何より好き。
「………はい……………」
君の唇が三日月をかたどる。
波の音が旋律を歌うテラスで、二人はほのかなキスを交わした。
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